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Uzbekistan Guide - Tashkent

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消えゆくアラル海 涼しさを求めて 国立タシケント東洋学大学日本語科
ホムサン居住区 ウズベキスタンのTV番組
自然の中の佇まい 市民の台所−バザール ウズベク民族料理の特徴
豊かな大地の恵み 主食−プローフ ウズベキスタン独立8周年記念
タシケント一の繁華街 ウズベキスタン共和国
真夏の夜のタシケント
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消えゆくアラル海   機上から見るアラル海は何とも痛々しい表情。まわりに白い筋上の模様が延々と続いている。海水が蒸発し、砂漠の風化作用によって塩の結晶がきれいな模様となった。面積64、100平方キロメートル。海抜53メートル。水深68メートル。これは1985年1月に発表した旧ソビエト連邦閣僚会議付属測量地図制作管理局のデータである。この時代でさえアラリスクなどの港町が消滅しかけていた。かつて港町として栄えていたこの町からは、1991年当時アラル海はまったく見られなかった。天山山脈を水源とするスィルダリアとパミール高原を水源とするアムダリアが主要な流入河川。その間を広大なクズィル砂漠が広がっている。綿花栽培用の灌漑施設建設によってこの二つの大河の水量が激減したことが最大の理由とされているが、自然のサイクルは複雑で崩壊後の混乱も手伝って未だ原因究明は困難。数年後には完全に地図上から消滅するとまで言われている。近年では観光ツアーや個人旅行が増えてきている。アラル海は中央アジアの大海。バルハシュ湖やイッスィク・クール湖とはまったく異なる存在。個人的には大変残念で寂しい。機上から見るアラル海は黄金色に輝いている。この雄大な姿を見ることができるのもあと何年ぐらいなのだろうか。
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ホムサン居住区    タシケントは海抜500メートル。真夏は40度以上にもなる。100メートル上がるごとに0.7度〜1度気温が下がるというのが一般的。となると、涼しい山間部の避暑地、ダーチャ(別荘)で人々は休暇を過ごす。タシケントの中心部からダーチャまで100km。車で約2時間。信号機は少ないが、途中何ヶ所か検問所がある。ほこりっぽいタシケント市内とは違って、郊外は静かでいくぶんしのぎやすい。韓国製の現地生産車で一般道を時速80km/h平均で走るドライブは快適だ。最近は、「モスクヴィッチ」、「ジグリ」、「ラーダ」、「ヴォルガ」が少なくなった。順番待ちをしないでも3000ドルで買える新品の韓国車はやはり魅力である。「チコ」は日本の軽自動車にそっくり。日本の中古車はもうほとんど走っていない。チャルヴァークからさらに山の中へ。ガードレールはほとんどない。途中、ハンドル操作を誤って谷底へ落ちた車を見掛けた。ドライバーは奇跡的に助かったそうだが、ここでの事故は日常茶飯事。貸しダーチャは見晴らしの良い高台にある。ナベ、食器、シーツ、座布団、照明装置なども貸してくれる。夕飯の材料はバザールで調達。日が暮れると30度以下にまで下がる。仲間と食べるプローフは実に上手い。我々がこよなく愛するシジャークも欠かせない。あの山の向こうは”シジャーク”がある。ここは海抜1000メートルのホムサン居住区。

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自然の中の佇まい    通りの名称を覚えておくと何かと便利。市の中心部から番号が上がっていく。ロシアでは通りのことを「ウーリツァ」、ここでは「コチャスィ」と呼ぶ。レーニン通りなら「ウーリツァ・レーニナ」、あるいは「レーニン・コチャスィ」となる。独立後はあちらこちらで通りの名称が変わってしまったので、白タクの運転手に行き先を説明するのは一苦労。道路の両側にはたっぷりと幅をとってある歩道がある。歩道そのものより一般道と歩道との間にある緑地帯の方が占有率が大きい。どこへ行っても必ず緑がある。この緑のおかげで強い陽射しを避けて歩くことができる。建物の出入り口は道路側ではなく、ほとんどが裏の中庭側にある。最近ドアロック式のものが増え、暗証番号を押さないと入れない。と言っても、開いたままのところがほとんど。こちらで羨ましいものの一つに中庭がある。建物と建物の間には中庭がある。ちょうど良い間隔で木が生えてある。日中40度でも湿度が低いので木陰はいくぶん過しやすい。そして、木は心を和ませてくれる。私が訪れた町で最も緑豊かなところは、「ウズベキスタンの真珠」と呼ばれるフェルガナ盆地にあるフェルガナ市。新市街はロシア人が計画的につくったヨーロッパの町を思わせる。町全体が碁盤の目に区画されており、「森の中の町」という形容がぴったり。鉄道が走っていないのも良い。フェルガナ市は私の最も好きな町の一つ。
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豊かな大地の恵み    ウズベキスタンの綿花栽培は、旧ソ連はもちろん、世界的に有名。綿花 = ウズベク社会主義連邦共和国のイメージがあまりにも強かった。果てしなく続く綿花畑を目の当たりにすると、人々の意気込みがこちらまで伝わってくる。世界第4位の綿花生産大国だった。ウズベキスタンを訪れて、綿花畑にお目にかかれることはまずない。最近は綿花のイメージがほとんど消えてしまった。しかし、ウズベキスタンの大地は幸多いところ。ナマンギャンで原油が吹き出て以来地下資源の本格的な採掘調査が始まっている。現在特に有望なのが石油と天然ガス。「日本からもどんどん投資してほしい」と語る友人の目が輝いている。地下資源だけが脚光を浴びているが、普段の生活を通して目に付くものが、野菜や果物などの農産物。モスクワなどの大都市の路上で出回っているのはほとんどがグルジアやアゼルバイジャンなどのコーカサス産。形や大きさ、味はほとんど変わらない。中央アジア産の方が若干安い。タシケントは1年前に比べると路上販売が大分減った。これには訳がある(1999年2月のテロ事件など)。それでもスイカやメロンなどの販売は豪快だ。写真中央のバンが後方向に傾いている。荷台はすべてスイカ。緑色の黒々とした物体は数100はあるスイカの山。これを一日でほとんど売ってしまう。ここはバザールではない。ごく普通の路上である。

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タシケント一の繁華街 - Sayilgoh・コチャスィ -    私が最初にウズベキスタンを訪れたのは1987年の3月。今からもう13年前のことで、当時は変革「ペレストロイカ」の最盛期。ロシア文学専攻の私には、ここで目に入るものすべてが新鮮であった。中央アジア = イスラム国家というステレオタイプのイメージしか持っていなかった。ヒワ、ウルゲンチ、サマルカンド、タシケントをまわった当時を思い出すと、自然体の中央アジアが実に懐かしい。民族衣装やチュビチェイカはタシケントではほとんど見られなくなった。チャイハナも極端に少なくなった。昔のように質素で重々しさがなくなってしまった。黄色に塗られたハンガリー製の路線バスはもう走っていない。名物本屋が消えてしまったのが寂しい。31巻から成る大ソヴィエト百科事典は当時円換算で450円。一番変わってしまったのは人々の考え方。特に若者の変貌ぶりは驚きに値する。国内でもタシケントは例外的に変化が著しい。都市に住む人々の暮らしはすっかり変わってしまった。ビジネスで成功している者の生活水準は平均的な日本人よりも良い。タシケントのど真ん中にあるSayilgoh通りは一番の繁華街。レストラン、カフェ、ディスコ、はては屋外カラオケ(ロシア語、ウズベク語、英語など)もある。ロシア語のきれいな字幕が歌詞に合わせて色が変わる最新式のもの。シャフリーサーブから来た画家の卓越した絵に終始見惚れてしまう。
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ウズベキスタンの国民的英雄

アミール・ティムール

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真夏の夜のタシケント    人々は暑い日中を避けて夜動き出す。気温はそれほど下がらないが強烈な太陽の陽射しから開放される。タシケントの夜もまた良い。中庭で真っ暗な中おしゃべりをしたり、通りを犬を連れて散歩をしたり、地下鉄駅付近でローラースケートで遊んだり、公園の片隅でカップルが二人だけの世界に更けたり。そこには人々の日常の営みがある。夜のSayilgoh コチャスィは若者や家族連れで一層賑やかになる。 写真は、フェルガナ盆地からやって来た、サーカスの一座。二人の子供達の手足がゴムのようにフニャリと体に巻きつく。モンゴルでも同じような芸人を見たことがある。この他に市内には新しい遊園地がいくつかある。以前日本で放映されたウズベク映画の中でこの遊園地が出てくる。政府庁舎前の噴水も必見。夜は娼婦達の稼ぎ時。市内にはちゃんとそれなりのポイントがある。それとなく声をかける。ここから交渉が始まる。外国人、特に日本人には高値を出してくるので、予め相場を知っていた方が良い。しかし、大抵はマフィアが絡んでいる。マフィアも恐いが、内務省治安当局も恐い。捕まったら誰も助けてはくれない。自業自得で、何事もほどほどに。しかし、私としては法に反する行為は勧められない。治安は概ね安定しているが、独立以前のウズベキスタンの方が夜街を歩いていても何となく安心感があったのは確かだ。

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涼しさを求めて   ウズベキスタンの夏は長くて暑い。湿度が低い分日本よりかはこちらの方がいくぶん過ごしやすいかもしれない。それでも日当はチクチクするような暑さで、長くは立っていられない。どうしても水を求める。短期滞在者は生水は御法度。数回下痢を体験して免疫をつけるとある程度抵抗がつく。果物が豊富で味もなかなか良いが食べ過ぎると下痢になる可能性は大。ほどほどが一番。旧ソ連時代からアイスクリームは美味。夏でも、冬でも、大人も子供も、どこへ行ってもアイスクリーム。ただ残念なのは、アイスクリームの質が低下していること。輸入物は上手いがちょっと高い。タシケント市内には立派なプールがいくつかあるが、どこも有料で水浴びだけならもったいない。普通子供は公園などの噴水や池で水浴びをする。大人は市内を流れる川で泳ぐ。この川以外に冷たい。そして緑色に濁っている。ナヴォイ大通りのアンホール運河でよく若者が豪快な飛び込みを披露してくれる。川の流れは意外に速い。女性の姿が見えないのが残念。写真は市内にお目見えした新しいタイプのカフェ「シャルシャーラ」。結構有名なところで、他にも似たようなカフェができている。滝の流れ落ちる方向に涼しい風が吹いてくる。水の流れる音を聞きながら食事をするのは気持ちが良い。
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ウズベキスタンのTV番組   91年から92年にかけて旧ソ連全土でメキシコテレビ局が制作した昼メロ「お金持ちも泣いている」が大ヒットした。放送時間帯にお店を閉めたり、工場が一時ラインをストップさせたり、役所の職員がどこかえ消えたりと、一種の社会現象にまでなった。「ルイス・アルベルト」という歌まで作られた。今でもメキシコテレビ制作の似たような昼メロが放映されている。それまでのテレビ番組があまりにも一方向に偏りすぎていた。私個人的にはソ連時代のテレビ番組はそれなりにおもしろいと思うのだが...。独立後のウズベキスタンのテレビ番組も一変してしまった。それまでのニュース、民族音楽、ドキュメント映画が主だった番組構成は次第に西側ナイズされてきている。コマーシャルの多さが良い例。ロシアからの影響も大きい。ロシアの人気テレビ番組「セクタル・プリーズ」というクイズ番組のウズベク版がある。ハリウッド映画や香港のカンフー映画など日本で見るのと何ら変わらない。タシケント市内ではたまにテレビ局の撮影現場に出くわすことがある。しかし、日本のように人だかりができたり、子供がVサインをする光景はあまり見られない。写真はたまたま立ち寄った本屋さんで、お店の主がインタビューを受けていた。チュビチェイカが新鮮に見えた。タシケントではチュビチェイカはほんと少ない。

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市民の台所−バザール   バルト諸国でも、ロシアでも、コーカサス地方でも、どこでもバザールはある。中央アジアのバザールは必見。タシケント市内には大小沢山のバザールがある。その中でも規模の大きさと品数の豊富さで選ぶと「アライスキー」、「チョルスー」、「オトゥチョパル」の3つを挙げることができる。アライスキーバザールは市の中心部にあり、交通の便が良い。現在は、市場そのものは残っているが、周辺に新しい施設が次々とできて、87年当時と比べると大分変わってしまった。昔に比べて売り手も買い手も少なくなった。チョルスーは大きな円盤状の屋根を持つ全天候型バザールで、周辺にも沢山の商店が軒を並べる。地下鉄「チョルスー駅」がすぐ側にあるので買い物には大変便利。近くの食堂でプローフとラプシャーを食べてから買い出しに行くのがパターン。私はこのチョルスーの常連客だった。オトゥチョパル(旧名はイッパドゥローム)は競馬場のことで、敷地内をバザールとして使用している。ここは他と違い日常雑貨がメイン。しかも場所代を払えば誰でも品物を持ち込んで商売をすることができる。私も以前ここで時計や衣類を売ったことがある。ウズベキスタンにはスーパーマーケットのようなお店はほとんどない。バザールが総合スーパーマーケットであり、昔も今も市民の台所として無くては成らない生活の一部となっている。
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主食−プローフ   何度か挑戦してみたが、どうしてもあの味に近づくことができない。やはり香料の使い方にコツがある。プローフはウズベク人の主食。日本のチャーハンやピラフに似ているが、いくつかの香料を使ってあの独特の味が生れる。ウズベキスタンのプローフには地域別に4つタイプがある : フェルガナタイ プ、サマルカンド タイプ、ホレズム タイプ、ブハラ タイプ。その中でも最もポピュラーなのがフェルガナ式のプローフ。フェルガナ盆地だけではなく、カシュカダリ州、スルハンダリ州、タシケント州、その他の地方で広く普及している。プローフは結婚式や何かのお祭り、催し物、祝賀会、歓迎会には必ず出される。種類も豊富でいろいろな材料を使用する。にんにく、まるめろの実、乾し葡萄、かぶ、など。使用するにんじんはプローフの種類によって使い分ける。以前は穀物油やごま油を使っていたが、現在では綿花油が主流。動物性油ではなく植物性油を使用する考えが支配的。それでも、一般の食堂で食べるプローフと家庭で食べるプローフでは油の量が違う。ダイエット(痩せるためではない、健康のための)による食事療法に気を配る傾向がある。いろいろな食堂を回ったが、一番美味しかったのは、カール・カムィーシュの知人宅で食べた一般家庭のプローフ。ラプシャーも美味しかった。

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ウズベキスタン共和国   ウズベクの歴史は大変古い。ウズベキスタン共和国はようやく9年目を迎える。首都タシケントの変貌は著しい。街中が新都市計画の建設ラッシュ。フランス資本のタシケント・シェラトンは最近できた超高級ホテル。周りの建物とはアンバランス。一方、先発のインド資本のホテルは倒産。数年前まで数百世帯が暮らしていた市中心部の住宅街が消えてしまった。現在そこには大きな幹線道路が走っている。現在の大統領府のある場所も元は住宅地だったと聞く。99年2月の事件後とは言え、独立当初から気にはしていた。最近は、国際電話はもちろん、国内電話にも気を使う。シチズン・アイズは健在。ここではちょっと書けないが、ウズベキスタンが進む方向が大体想像できる。これは当然の成行。市民生活を見ると確実に安定志向。表面的には豊かになっている。裕福層は皆自由化を謳歌している。一方、大部分を占める低所得層の話を聞いてみると悲観そのもの。これは今のロシアと同じ。ある労働者は「国民を騙すのはもういい加減にしろ!」と。しかしながら人々は「したたか」だ。特に女性がたくましい。そして、何と言っても子供たちが明るい。この「したたかさ」にいつもひかれてしまう。

 

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